日本人であっても、外国人であっても、日本語が読める皆さん、ハロー。最近、皆さんは日本の温かいおもてなしや、優しさを感じたことはあるでしょうか?なぜか、私はそれを感じなくなってきました。
初めに、私と日本とのかかわりを紹介します。私が子供の頃、日本が大好きなお母さんから、日本の事を色々と聞いていました。一番覚えている日本に関する話は、「すみません」と「ありがとうございます」の話でした。「日本に行くと、この二つの言葉を覚えなければならないよ。また、この二つの言葉さえ覚えれば、日本での生活が便利になるよ」とお母さんが言っていたのです。当時、まだ子供だった私は「日本人は優しい」と思い、お母さんを日本に連れて行こうという夢をもちました。そして、私が中学1年生の時、学校で日本語と初めて出会います。
中学校以来、一日も欠かさず、私は日本語の勉強を続けました。高等教育の進学の時も、経理学や心理学に興味を持ったのですが、やっぱり日本に行く夢を忘れられず、日本語学の専攻を選んだのです。大学に在籍していた時に、大学の交換プログラムを見つけ、「これだ!」という思いでチャンスを逃さずに応募し、大阪に一年間留学をしました。日本では数多くのカルチャーショックを経験しましたが、一番印象に残っているのが次の二つです。留学する間、日本のコンビニでよく買い物をしていましたが、コンビニの店員さんがとても優しく、丁寧な接客だったのです。ある日、コンビニを出るとき、近所のおばあさんと目があったので、私はおばあさんにお辞儀をしながら微笑んだのです。すると、そのおばあさんが「あなたは誰?なんで、私と目があう度に微笑んでいるの?」と怒っていたのです。私は「いや、特に意味はないです。すみません」と寂しく答え、「私は悪い事をしていないのに、なんで悪役みたいに怒られるのだろう」と悲しい思いを持って母国に帰ったのです。「日本人は優しいですか?」と私は自分の信じた“日本人”を疑いました。
大学を卒業して以来、7年が経ち、現在の私は日本で大学に通い直し、「日本語での発表」という授業に登録。先生はとても優しかった。先生から次の発表の校正を教わります。意見を述べる際、「反対と賛成」の両方の意見を述べた後に、自分の意見を述べる事も学びました。多様性に富んだインドネシア出身の私にとって、形にこだわり、自由に意見を述べられない雰囲気を持つ日本の学校教育に違和感を感じ、どうしてもその考え方に納得できないのです。私にとって、他の人が見え、感じるものが必ずしも私がわかる訳ではないため、「反対賛成」を知らず自分の持った考えをそのまま意見で表して述べればいいかと思う。意見の中に対立側の考えを述べないからといって、ケンカを売るものではなく、他の人の意見を聞かないことこそが良くないと思うのです。「賛成反対」の意見で述べる事で、相手を尊重する考えを持つ日本人は“優しい”と思うのですが、人間の持つ、本来の生の意見に耳を傾けない側面があるのも事実。それは日本人は“優しくない”と思うのです。